
今回紹介したいのは、
「人間誰しも自分が1番好きである」
というお話。
みんながみんなそうではないかもしれませんが、僕が関わってきた人の9割はそうだと思います。
「自分が1番好き」っていうよりは「自分が1番可愛い」っていう表現の方がしっくり来るかな!
そして「自分が1番可愛い」っていう行動や発言は皆、自分のためとは思ってなんかいなくて無意識的にしています。
結局何を言いたいのかと言うと、世の中は偽善に溢れているという事。
そしてその偽善は皆無意識的に行っているという事。
だけど善も溢れている。
そこをしっかり見極めれると、自分の本当に大事にしたいモノがハッキリするよって話。
世の中偽善だらけ

偽善と言うと響きが悪いですね。
偽善というより、
人が良い行動をした時のその根本的な理由は、「良い事をしたい!」じゃなくて「実は自分のため」っていう感じです。
例えば、道端で転んでケガをしている人がいて「助けなきゃ!」って思ってハンカチとかティッシュを渡してあげている人がいるとします。
助けた本人は本当に助けたいと思って行動していると思いますが、行動の根本的理由は自分のため。
「助けてあげないと!」っていう感情と同時に、
- 無視するのは罪悪感があるな
- 助けないと冷たい人間と思われるかも
- 助けてあげる自分ってなんだか素敵
- こういう時は助けるのが一般的だよね
こういった自分のための感情も絶対に湧いているはずです。
優しい人ほどこういう感情が湧いてくる。
元から冷たい人は助けないですから!
世の中には、
仕事を手伝ったり、困ってる人を助けたりといろんな善があるけど、それは助けたいって気持ちが100%というわけではないって思っておきましょう。
ちなみに言っておきますが、人助けを否定的に言ってるわけじゃないですよ!
人助けは素晴らしい事ですが、行動の理由は100%が人助けのためじゃないって事を言いたいのです!
100%の善もある

100%の善は無いような事を言ってきましたが、
本当に大切な家族や友人においては100%の善もあると思います。
「この子のためなら死ねる」
「こいつの責任は全て俺が取る」
こういうのは、もうほぼ100%の善な気がします。
善というより愛ですね!
愛は偽善がない世界だと僕は信じています。
逆に言えばそれ以外はどれだけ助けたいって気持ちがあっても、数%は自分のためっていう意識が混ざっているのではないかと。
稀に誰に対しても100%の善の気持ちで接してくれる人もいますが、それはホント超超超少数ですね。
偽善は2種類ある

僕の中では偽善は2種類あります。
- 意識的な偽善
- 無意識的な偽善
意識的な偽善は分かりやすいです。良い恰好したいっていう理由100%でする行動です。
無意識的な偽善は上記であげたような人助け。
本当に助けたいという気持ちがあっても、無意識的に自分のために動いているような行動。
だから普通に生きている限りは基本的に偽善しかないというわけですね。
だって本当の善は、愛のみですから。
誰かを助けている時に少しでも「俺って偉い」「助けるのが普通だよね」って言う感情があるならば、それは100%の善じゃないです。
優しいと思える人でもそれはあなたのためじゃないかもしれない

これが今回のテーマの核心です。
あなたが普段から優しくて好きって思ってる人は、あなたのためを思っていない可能性もある。
これは鈍い人だとマジで気付けないです。
鈍い人っていうのは、人の心を読むのが苦手な人のことです。
そういう人は、相手がどういう意図で何のために自分と関わってるのか深く考えることができないんですよね。
典型的に詐欺に遭いやすいタイプがコレ。
相手を疑うのは良くない事ですが、相手との距離感を把握するためには相手をよく見なければいけません。
僕の知り合いにはこんな人がいます。
誰にでも笑顔でお菓子や物をあげたり愛想を振りまく人。
その行動自体は素晴らしい事だし、こちらも嬉しい気持ちになります。
でも僕はその人の行動の割合は、
偽善90:善10と思っています。
何故そう思うのかと言うと、その人が普段から陰で悪口を言ったり悪態をついたりするタイプだからです。
結局その人は周囲の人を自分に取り込むために良い人をしているわけですね。
これに気付けない人が多すぎる!
なぜこれに気付かないといけないのか…
それはあなたがその人のために精一杯行動してしまうから。
本当にその人が愛に溢れている人だと勘違いしたら、その人のために尽くしたくなるでしょう?
これを返報性の法則と言いますが、相手はあなたに対してどうも思っていないんです。
相手はあくまで自分のために偽善をしただけなのに、自分はまんまとそれに乗らされているというわけです。
鈍い人はこうなりやすいので本当に注意。
自分を犠牲しがちになります。
自分のために生きればいいだけ

偽善者が自分のために良い事をするならば、自分も自分のために行動すればいいんです。
偽善と言っても悪い事じゃないんです。
良い事なんです。
だってあくまでも”善”なんですから!
どんな状況に出くわしても、自分のために何をするのがいいかと考えればいい。
道端で人が困っていたり、
誰にでも愛想が良い人がいたり、
そんな時に自分が自分のためにどうしたいかをまず考える。
相手の事は二の次でイイ。
「相手が優しい人だから何か返さなくちゃ」なんて考えなくていい。
だって相手も自分のためにやってるだけなんだから。
ていうかぶっちゃけ世の中の良い事なんて、そんな感じで溢れてるんだから自分も例外にならなくていいよって事です。
だけどそれに加えて相手が善なのか偽善なのか、偽善ならどれくらい偽善なのかも見極める。
そういう事もハッキリ読み取れるようになれるとベストです。
偽善だとしても、
偽善10:善90みたいなのもあります。
それはもうほぼ愛みたいなモノで、大切にすべき相手。
全ての良い行動には、自分への思いの強さが違います。
それをはかれるようになれたら大切にすべき相手が見えてくるでしょう。
自分が1番可愛いんだから自分が絶対と思えばいい:まとめ

相手が良い人だから自分もそれに報いなければならないとか、
相手が自分に良くしてくれるから、自分も相手に良くしてあげようとか、
そんな事考えなくていいですからね。
人の行動は基本的に自分のためで、それに報いるというのは自分を犠牲にする可能性があります。
まぁ報いるという行動も自分のためなんですけど…
相手に対して、どれくらい自分が善の気持ちが強いかで判断すればいい。
もし相手に良い事をしてあげようと思った時に、それがほぼ偽善だと感じるならば、その相手はあなたにとって大切じゃないかもしれない。
偽善って言うのはほぼ確実に自分のためだけど、自分のためなんだけど偽善をする事で自分を犠牲にする可能性もあります。
それをすべて含めて考えて自分の好きなように行動しましょう。
偽善をするなら1番自分のためになる行動をしよう。
なんか今日は支離滅裂な文章になってしまいました。
ちょっと僕、冷たい人間みたいな感じですね笑。
でもこれが真理だと思ってます。
それではこれにて!
バイチャ(^^)/
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