

そもそもこのことわざの意味を知らない人のために説明しておきますと
意味:他人のものは何でもよく見えるものである。
みんな生きていたら一度は思いますよね。
「なんであの人はあんなに幸せそうなんや」
って。自分が苦労して辛い思いしていることに憤りや劣等感を感じずにはいられなくなります。
だけど辛いのは自分だけじゃないし、その考え方自体まったくの無意味です。
そこんとこの僕なりの考えを綴っていきます。
隣の芝生は青く見える

いや実際僕も隣の芝生が青く見える系男子だったんです。
- 学生時代は何かと問題に巻き込まれる
- 社会人1年目で会社を辞める
- やりたい事が見つからず途方に暮れる
書いたらキリがないので多くは語りませんが、本当に周りと比較しては劣等感を感じずにはいられませんでした。
「あいつはいつも運がいいやつだ」
そんな事ばかり考えて自己肯定感が低い人間になっていました。

自分と他人を比較することは悪いことでは無いですが、比較することによって自分の価値を下げるのは全くの無意味です。
ここを理解しないと、いつまでも自分を認められない人間になってしまいます。
周りの人間と自分を比較しても意味はない

なぜ比較する意味がないのか。
なぜなら自分と周りの人間は完全に別物だから。
人それぞれ、
- 好きなこと
- 嫌いなこと
- 性格や趣味
- 幸せの定義
が違います。
自分とかけ離れた人と比べて「あぁ羨ましい」と思うなら、無意味もいいところ。

そもそも青く見えるその隣の芝生は、自分よりもっと辛い日常を過ごしているかもしれません。
僕自身そういう体験をしたので語っていきます。
隣の芝生は青くなかった

僕は大学生の時、いつも周りの友達が羨ましかった。
僕は実家から大学に通い、携帯代も自分で払い、遊ぶお金も自分で稼いで、終電までしか遊べない毎日を過ごしていました。
なのに友人はアパートで1人暮らしで、家賃払ってもらって、仕送りも貰って、携帯代も払ってもらって、しまいには「金ねぇ~」とか言ってるんです。
「ざっけんなぼけが!」っていつも思ってました。笑

家庭の事情や生活環境の違いはしょうがなくても、嫉妬せずにはいられなかった。

「兄弟が今の大学を辞めて新しい大学を入りなおすことになって、それで母が精神的にまいってしまって体調が優れなくなってきた」と。
友人は辛そうな顔をして僕にその話をしました。
間違いなく友人にとって辛い出来事なのだと僕は感じました。

青く見えた芝生は決して自分が青いだなんて思っていなかったし、僕自身も青いと思っていたことが間違いだったと痛感しました。
僕の悩みと友人の悩みは、悩みの種類としては全く違うものだったけど、
確実に言えるのは人それぞれ違う悩みを持っているということ。
だから自分と周りを比較する意味はないとこの時悟ったのです。
自分にとっての青い芝生を見つける

とは言え社会人になってもまだまだ隣の芝生は青く見えてたんですよね。
というより社会人になってからが辛い日々の連続で、周りへの劣等感が募る毎日でした。
だけどそれは周りの人間も同じで、みんなそれぞれ何かしらの悩みを抱えていたんですよね。
更にはブログやSNSを始めてみたら、僕なんかより波乱万丈の人がわんさかいることを知りました。
ここでやっと目が覚めました。

って。
比べても意味ないのに周囲と比較して自分の価値を下げることで、心のどこかで自分を悲劇のヒロインと思っていたのかもしれません。
本当にこの時すべてが吹っ切れて、他人を羨ましいと思うことが無くなりました。
それよりも「こんな自分になりたい」と思う道に進んで、自分が青いと思う芝生に自分で近づいていけばいいと考えるようになったんです。
だから問いたいんです。
今辛い人は周りと比較して何か得をしていますか?
そしてその芝生は本当に青いですか?って。
本当に辛さから抜け出したいなら、見るべきは周りじゃなくて自分ですよ。
まとめ:隣の芝生は青くない

ただのことわざをここまで深堀りしてしまいました。
何回芝生と言ったのやら。
まぁことわざを例に出して、周りより自分を見つめる大切さを伝えたかっただけなんです。
すこしでも誰かのためになれば。
と思いながら綴ったまちゅの独り言でございました。
それでは今回はこれで!
バイチャ(^^)/
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